「こんな経緯だな。彼が求めているのは彼女の面影、いや、彼女自身なのかもしれないな」
 その言葉に蒼褪めていた夕香と目を伏せていた月夜は頷いた。正直、そこまでの経験だ
と思わなかった。
 自分のみに置き換えて考えればとても正気でいられるものではないだろう。月夜はちら
りと夕香を見てから目を伏せた。
「そんなことが」
「そんな」
 絶句している二人の若者に長老はただ頷くしかなかった。ふと、先ほどから気になって
いた事に首を傾げた。
「そういえば、都軌也殿、瞳の奥に狐の炎が見えるが?」
 その言葉にはっと我に返って目蓋の上に触れて首を傾げた。
「やっぱ狐火ですか?」
「狐の炎にしか見えんな。一ヶ月ほど前、か、そのときは、見えなかったのだが?」
「いや、最近、未来視やら神気の爆発やらで困ってんですよ。さすがに、呪具はもらって
いますけど」
 両腕にそれぞれ数珠がはめてある。左腕には水神から渡された蒼い数珠が、右腕には夕
香奪還するときに教官から預けられた女物の水晶の数珠がある。
「その水晶のって?」
「教官の、かりっぱだったな」
 つけているのも忘れるくらい、しっかりとなじんでいた。他人の数珠ならば、ここまで
の物ではないだろう。
 澄んだ輝きを放っている水晶をじっと見つめて溜め息をついた。
「そういえば、空狐とは、どのような存在なんですか?」
 いきなりの質問に長老はもちろん、夕香も驚いたが、長老に聞くのが早い手だろう。聞
くまでもないことなのだが確認したい事があった。
「どのようなといわれても、我らの上に当たる神であるから、崇め奉る存在だな。それが?」
「あ、ええと、つまり、空狐、天狐になってからではないとなれないのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
 さすがに不思議な色を隠しきれない長老に月夜は静かに視線を投げかけた。朧がかった
パズルのピースが、彼の言葉によってはその朧、霧が晴れるかもしれない。
「つまり、家系により、その、空狐になるものは、ないんですか?」
 そこが一番聞きたい事だった。その言葉に長老は目を見開いて、そのすぐ後に記憶をた
どるように眉を寄せてぱっと思いついた顔をした。
「ある。そうだなあ、もう、四百年、五百年ほどになるか、家系での空狐が尋ねてきたな。
女の空狐で、美しかった」
 四百、五百年ぐらい前という事は江戸時代辺りかと辺りをつけた。それぐらいから代交
代していないのかと目を伏せた。
「空狐が代替わりするのはどれぐらいの周期かわかりますか?」
「周期か、そうだなあ、前の空狐はその三百年ちょっと前、つまり、今から八百年ほど前
かなあ」
 鎌倉時代の辺りかと溜め息をついてかなり遠い話だが、三百年、四百年単位ならば、そ
ろそろ交代のはずだ。
「……そうですか」
 残念ながら霧が晴れてしまった。憶測から確信にたどり着いた月夜は目を伏せた。水神
から見せられたあの面差しが脳裏に焼きつく。
「空狐に関係でもあるのか?」
「いや、俺個人がです。俺に空狐が憑いたんだろ?」
 確認を取ると夕香はしっかりと頷いた。そして、前から見ていた予知夢の意味を知った。
 あそこに倒れていた、黒と胡桃の狐は紛れもなく、月夜と夕香だ。
 そして、対峙していたのは、母と、白空だろう。
 溜め息をついて、この状況を打開する事に関して頭を働かせ始めた。
「おそらく、俺は、空狐の血筋を受けているのでしょう」
 憂いを秘めた目で目を伏せていう仮説はもう、月夜の中では揺るぎないものだった。
「なんで、いきなり」
「わからない。だけど、白空がちらついた辺りから、体がおかしかった。いうならば、誕
生日、重陽の節句が近づいたときぐらいからかな。それで、俺に、特殊な能力が目覚める、
つまり、空狐の力の発端を起こす事になったのは、あの時に死にかけたからだ。体の中、
死を遠ざけようとする本能がそれを起こした。それで、今までの事だ。空狐が降りたなら、
空狐だろう。俺は、おそらく次の空狐の器なのだろう」
「何でそんな断言できるの?」
「勘だ。……しいて言うならば、そういう事実と、炎だな。炎という事は狐だろう。それ
も、神格の高い。……残念ながら残っている母の残滓には、天狐の気は感じられない。考
えていなかったが、そう考えてみれば一致はたくさんあった」
 それを言いながら月夜は目を伏せて溜め息をついた。それだけしかいえない。ふと、術
師の才能があると、言ったときの和弥の心情を考えた。あれは驚きと困った感じが含まれ
ていた。だが、自分は今なぜか、驚きより、やりきれなさを感じている。今ほどに和弥と
話したいと思ったことはなかった。報告が終わったら、和也に連絡を取るのもいいかと思
った。
「と、話を最初に戻すが?」
「ああ。そうね。てことなんですけど、長老」
「やることは一つだろう?」
「はい」
 月夜は落としていた視線を上げて長老を見た。強かな光を宿したその瞳、その姿はあの
日の、白空に似たものがあった。
「君は神をよみがえらせなくてもいい。私のほうから神官を集め、やっておこう。君たち
はそれ以外でやるべきことがある」
「妖と人の衝突ですね」
「そうだ。決して、死ぬなよ」
「はい」
 頷いて立ち上がり一礼してから夕香を伴って外に出て空を見上げた。空は澄み渡ってい
るはずもなくどんよりと曇り、雨粒を落としていた。
「すぐ、止むといいな」
 そうポツリともらすと月夜は瞬き一つの間で異界から現世へ移動した。その後を追って
夕香も現世に戻っていった。
 雨は降り続いている――。


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